人は人を殺してもいい

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私がここに書く内容は重度の思考停止に陥っている人間に対する批判である。重度の思考停止とは思考停止していることに気付かず、気付いていないことすらも自覚できない人間のことである。大多数の人間が重度の思考停止に陥っており、その大多数に向ける批判である。

 

人を殺すということは人間にとって自然なことだ
本来的に生物は争う
人間も例外ではない
だから、人を殺すことを抑制する倫理観や法律があることのほうが異常なのだ
私は社会的制裁やほかの人間からの嫌がらせを受ける覚悟があるのならば、人を殺してもいいと考えている
いや、たとえ抑制があっても殺したい憎い人間がいるのならば、殺すべきだ
そのほうが理に適っている

このような「人を殺してはいけない」という常識を疑わない人、疑ってもすぐ忘れて生きる人間は一般的に正常だといえる
だけど、このような常識を疑わずして、ただ社会に流されて生きてあなたは「生きている」と言えるのだろうか
…おそらく、言えてしまうのだろう
虚偽に骨の髄まで犯されているのだから
それで、幸せならこのページは不快感しかないだろうから、見ないことをおすすめする
虚偽に犯され、そのことを自覚もできない人間とは、会話ができない
一生考えず、この虚偽世界で生きていけばいい

社会に疑問をもっている人間、今幸せと言えない人間にとっては、私の言っていることに対してある一定の理解を示すだろう

「人を殺してはいけない」なんていう法律はない
また、「人を殺してはいけない」と刑法199条によって解釈することができるにしても、法律があるから「人を殺してはいけない」と考えるのも浅はかだ
そして、道徳を持ち出すことも同様
なぜ殺してはいけないのか?
と問われると自分や大事な人が殺されたくないからと答える
なぜ殺されたくないのか?
大切だからと答える
なぜ大切なのか?
・・・虚偽世界の住人は、大切なものは大切だからとか、嫌なことは嫌だとかそういう結論に終始する
なぜこうなってしまうのか?
それは、存在意義があるという前提が根本にあるからだ

私たちの奥底にそれはある
ゆえに、大部分の人は気付かない
そして今では気付かないようなシステムが自然と出来上がっている
なぜか?

それは意味がないと人は生きていけないからだ
動物と違って人間は生きるために意味を求める
そして、不安定を嫌う
だけど、この世界には、存在意義があるのか、ないのかわからない
この事実は人間にとって耐え難い苦痛であった
だから、人間は神を創りあげた
そして生きる意味を神に求めることで、意味をつくった
そうすることで、存在意義について考える必要がなくなり、苦悩なく生きていける
このほかにも、宗教や科学、信念、科学、愛、友情などがある

これらも存在意義について考えることを避け、苦しまないためにある
例はいろいろ挙げられるが、たとえば技術
私は今電子機器を用いてこのブログを書いている
昔はこんなものはなく、相手に連絡をとるということは非常に手間のかかることであったであろう
だけど、当時それが常識だった

今どうだろうか
こうやって不特定の誰かに瞬時に伝えることができるし、特定の人間に対しても一瞬で連絡することができる
それが常識だ
そして、昔のことを今やれと言われても苦痛だろうし、そもそも人々は昔がどうだったかなど意識しない
この例でもわかるように常識の上に常識がつくられ、さらにその上に常識が…
ということが、世界で延々と繰り返され続けている

「人を殺すこと」についても同様のことが言える
昔は人を殺さなければ生きていけなかった
殺すことによって危険を排除し、食料を奪うのが常識だった
それが、神やら宗教やらのおかげで平和を保ち、少なくとも日本では「人を殺してはいけない」ということが常識になっている
そして、「殺してはいけない」という常識のうえにも、夥しい数の常識が積もっているため、今では「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いを頭に浮かべてもなかなか答えがでない

今現在、手紙を使ってやりとりするのが苦痛であるのと同じように、人を殺すことについて考えることも同様に苦痛なのだ


それに加えて、今ではこんな小難しいこと考えるくらいなら、酒でも友人と飲んで楽しく遊んでいるほうが有意義だろう
もしくは、仕事に没頭して金を稼いだり、ゲームをしたり、一般の人間にとって疑うことよりも「快楽」の得られるものは数えきれないほどある。
このような状況も重なって「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対して、人々は説得力をもって答えられないために、「大切なものは大切だから」という苦しい言い訳をするのだ


このような人間はテレビのニュースでも見ることができる
殺人者とそれを非難するコメンテーター
後者はまるで殺意など芽生えないかのような人間として振る舞う
そして、ときに悲痛な顔をする
このような人間が自らの考えもなしに、常識を掲げ、正義を口にする
社会的な名分もあるのだろうが、おそらく考えてないだろう
心底腹が立ち、化けの皮を剥いでやりたい気持ちでいっぱいだ

「人を殺してはいけない」

何度もいうが、これは虚偽にすぎない

「なぜ人を殺してはいけないのか」
殺してはいけないということはなく、罪を
受ける覚悟があって殺したいと思うのなら殺すべきだ。

私たちは自らの望むように殺すことができる
そして、殺したいから相手を殺すのは自然な行為だ
肉を食べたいから肉を食べることが自然なように、人を殺したいから人を殺すのも自然だ
この当たり前のことに嫌悪感、違和感がある人間は虚偽に侵食された人間だ
「思考停止状態」に陥っている人間だ
そのことをまず自覚し、反省すべきだろう

ちなみに、私が「人を殺すこと」に肯定的で、今までに何人も殺してきたような人間かのように思えるかもしれないが、そんなことはない
そして、私は人を殺すことを推奨してはいない
また、私は人を殺すことを悪いことだと思っている
だけど、これは感情論にすぎない
悪いと思ってはいても、私は大切な人が目の前で殺されたり、いじめられたりすれば突発的に殺してしまうだろう
そして、これは自然な行為で、非難されることではない
だから「人は殺してもいい」

私は虚偽世界の人間よりも誠実な人間だ
何も偽っていない
「人を殺してもいい」という事実があるにも関わらず、それに気づかず、もしくは気づこうとしない人間は実に醜い

人を殺したというだけで、非難する人間を私は殺したいと思う