就職活動

就職活動のことでも記そうと思う。心底、この活動を馬鹿らしいと思っていたので、書くことに少々抵抗があり、また、過去の私からみれば、今の私を唾棄し、また私自身に嫌悪感を抱くことになることになるだろうけど、事実、とても苦しかったし、結果が出たので回想を含めて記そうと思う。

就活解禁日である12月前から、私は妙な焦燥感に駆られていて、企業研究をしてみたり急に新聞をみたりしてみるも、結局何もわからず仕舞いで、日記には「企業研究なんてばからしい。だけど、私には就活しない道が考えられない。なぜか?情報が少ないうえに、家庭が破綻していて一刻も早く離れたいからだ」と記してある。
11月の後半くらいには、キャリアセンターというところに行って、情報を得るためのアドレス登録をした。
随分と遅い登録だったみたいで、キャリアカウンセラーのYに少し怒られた。
このとき、Yが、エントリシートや面接の練習などの面倒を見ていることを知り、またなんとなく人が好さそうな気がしたので、通うようになる。

Yは、エントリーシートに書く事柄を深く掘り下げるために、私の過去についてとても深く聞いてきた。
年長者に私の過去を話したところで何の影響もないだろうと思い、初めてペラペラと話してみた。
深刻そうな顔つきで、涙ぐむこともあったり、ものすごく笑ったりと何やら興味深く聞いていた。
一緒にご飯を食べに行ったりするなど、キャリアカウンセラーの方とはとても仲良くなった。
そして、ほとんど人間関係のない私を心配してなのだろうか、なぜか12月24日にキャリアカウンセラーの方の相談をよく受けている者と「一緒に飯でも食べに行け」と言われ、その彼女と飯を食べに行く。彼女はとても理知的で「こんな人間がいるのかー」と思わせるくらいに人間がよくできていて、話すのが楽しかった。
そして、その後、Yと彼女と私の三人でグループワークを作るという話になり、就職活動が上手くいっていない者を集めるようになる。
まだこのころは、就職活動にいまいち実感が持てず、とにかくエントリーシートの準備をしているだけで、合同説明会というのにも後にも先にも一度だけ参加した(ものすごく虚しさを感じ、嫌気が刺した。)

意外と楽しさを感じるような出来事が多かったけれど、1月19日まではYの予約を入れて相談を受ける以外は、図書館に籠り続ける。
鬱状態であるのだろうか。日記には過去を回想していたり、〈私〉を裏切っていることへの罪悪感、俗物に対する嫌悪、両親に対する憎しみ、思索などをしている。
「今日朝早く起きようと思ったが無理だった。理由ははっきりしていた。まず、朝早く起きるのは私にとって非常にハードルが高いということだ。」

1月20日、合同説明会以来、スーツを着て説明会を受ける。「私は今、スーツを着ている。恐ろしく似合わないと思う。慣れていない感はあるが不思議と不快感はない。変な緊張感がある。」
「服装というのは不思議だと感じる。阿呆なくせして真面目にみえるのだ。それが大切だというが、虚偽だ。虚偽で成り立つ社会を今、私は手に触れて実感している。他の人の話を真面目に聞かないこと。考える余地というものを残しておくこと。」
「私は今、説明会を受けている。私は演じているのだ。周りは異常に真面目だ。私はとても馬鹿らしいと感じるが、道化師なのだ。私は一流の道化師になれ!」

それ以降、また図書館に行くようになる。
1月21日、たまたま綺麗な表紙に魅かれて私は森岡正博氏の「無痛文明論」を手に取った1月21日を忘れないだろう。私の考えている虚無世界と虚偽世界に恐ろしく通ずるところが多々あり、喜びを感じたものの、その後、何故か鬱状態が長らく続いた。ずっとこのときの心情を言い表すことができなかったが、最近読んだ「孤独な散歩者の夢想」の引用箇所が私の気持ちを代弁してくれた。「私が人類最初に踏み込んだと思っていた未開の地から、ほんの二十歩ほどの谷間に靴下工場があるではないか。工場に気付いたとき私の心に去来した混乱と矛盾にあふれる興奮をなんと言ったらいいのだろう最初に感じたのは、孤独と思っていた場所で思いがけず人に出会えた安堵の喜びだった。だが、その喜びは稲妻のように一瞬のことで苦しみにとって代わられた。この苦しみはすぐには消えない...。」

とても長らく精神の体調が悪い日々が続く。そのような中であっても、就職活動に関してはグループワークの集まりに参加をしていた。(あの三人を含めた計九人が後に集まることになる。この時点では六人)
このグループワークに関しては、運よく人間に恵まれ、とても楽しかった。

2月12日、初めてエントリーシートを提出しようとするも、ぎりぎりで間に合わず、絶望する。
手助けしてくれたYに申し訳なく思い、これからは気をつけようと決心する。

17日から選考に関係のある説明会に行くようになる。この時点で特に軸はなく、ともかく「物は試し精神」で憂鬱ながらも2月は4社の説明会に行った。
周りの話を聞くと、ものすごい数の説明会に参加しており、精神的、身体的にも苦しいにも関わらず、さらに焦りが加わり、憂鬱で寝たきりの日々を過ごす。
2月28日、郵送のエントリーシートを準備しようとするも、精神的余裕ないせいか、封筒を書くのを4回ミスり、さらにエントリーシートも3回ミスり、結局、何もかも嫌になって提出するのを諦める。
3月3日、練習のために、どうでもよい企業Aを受けて、初めて面接に臨む。「とても疲れた。難しすぎる。」とだけ日記に書いてあるけれど、たしか、当時、自分が全く面接できないことを実感できただけでも収穫だと思っていた。


3月6日、人前で泣いてしまう。Yにものすごく支えてもらっているにも関わらず、全く選考も進まず、志望動機も内容が薄いことしか書けず、とにかく、Yに申し訳ないと思う気持ちがあった。実はYのほかにもキャリアセンターの職員に可愛がってもらっていたのだが、その人にも申し訳なく思った。就職活動に身が入っていなかったために、真面目に志望動機を書こうにも、薄っぺらいために叱られた。私が辛い環境にいることを知っているからか、その二人は私が苦しくて泣いているときに、泣いてくれて、安堵というかなんというか、嬉しかったことを覚えている。
そして、3月6日に完成したエントリーシートを当時興味あった企業B初めて郵送に成功する。(今思えば、全く志望度は高くなく、だからこそ全くうまく書けなかったのだろう)
3月は7社の説明会に行き、とても疲労を感じていた。
日記では私自身と家庭に苦悩している。

4月2日、グループワークで面接の練習をした。面接回数をこなすためにありがたい機会であった。
この時期、私は説明会受ける数が少ないこともあって、図書館で多くの時間を過ごし、膨大な日記を書いている。主に倫理について書いている。
4月8日、企業Bの最終面接を受ける。なぜか、ものすごく自信満々で落ちるわけがないと思っていた(落ちた)
特にショックはなかった。というのも、この面接を受けていく間に、受けた説明会の中に魅力的な企業があったからだ。
4月12日に、本命の企業Cの選考を受ける。この企業はなんとなく行ってみたいなと思えたので、志望動機もうまく書け、面接のときにも、緊張しながらも熱意をもって臨むことができた。
4月26日は周りが決まる中、私は全然受けていないことに焦り、追い詰められすぎたせいか、頭がぐちゃぐちゃで何も持たずに神社に行った。とても死にたい状態が続く。ずっと倫理について考え続けた。そして、就職活動をする意味が分からなくなってしまい書類選考が通過していた企業D、E、Fを捨て去る。二次面接(4月12日)と最終面接(5月21日)という期間にゆとりのある企業Cだけとなった。

就職活動はもうほとんど捨て去り、企業Cに就職できなければ私はもう生きていけないだろうと思う一方、とにかく「今」を楽しむという精神状態となり、一か月以上、俗世から離れて海辺でぼーっとしたり神社でぼーっとしたり、自室でコーヒーを飲みながら優雅に読書をしたりした。
グループワークがあったが、就職活動を捨て去り、軽蔑していた私は終始無言で、ものすごく迷惑をかけてしまった。
真面目に就職活動をしているみんなが嫌になってしまった。
5月16日まで鬱の日も多少あったが、ものすごく幸せに過ごす。

5月17日になると、21日が近くなり一気に憂鬱になる。
「虚無に届くことは決してない。狂ってしまった者は皆、虚無を支える空から洩れ出した雫への恐怖、存在空無への予感に耐えられなくなってしまっただけに過ぎない。虚無は空の向こうにある深海であり、皆、哀れにも虚無の雫に怯えながら傘をさし、凍えないように、凍えないようにと!」
苦痛のおかげだろうか、創造力が豊かで愉快だ。
5月20日、グループワークのみんなに会い、励まされる。たしか、この日カレーを食べた後、ある一人に、志望動機や自己PRなど、「なぜ!?をさらに深めるとよい!」と言われた。
ものすごく憂鬱だったけれど、この日のおかげで精神的に楽になり、「この企業に落ちたら、私は落伍者として誇りをもって生きよう」という風に前向きになれた。
帰宅後、言われたとおりに、ずっと「なぜ」を深めつづけた。行きたい企業であったし、ものすごく深い志望動機ができあがった。自己PRや学生時代に頑張ったことをさらに深めるのは苦戦したものの、どうして私が働きたいのかということについても納得のいく考えをまとめることができた。
睡眠時間は一時間半ほどしかなく、ぎりぎりまで考えをまとめていた。

私は家から駅に向かう間、「俺はできるぞ」と笑みを浮かべながらシャコシャコと自転車を漕ぐなど、テンションは高かった。
日記には「俺はできるぞと呟いたのはいつ以来だろう。中学生の時に一人で復讐をしに教室に殴り込みにいったとき以来ではないか」と記されてある。

時間をかけて現地に着くと数人の受験者がいた。このときの精神はワクワクだったので、初対面の受験者に声をかけ、仲良くなり、緊張がとても解れた。
最終面接では、緊張していることを指摘されるほどに緊張していたが、和やかに進み、聞かれた質問についてもジェスチャーを交えて上手く答えた(緊張のしすぎで手がしびれ、動かさざるを得なかった)
最後の質問のときにも、熱意を示すことができ、30分の最終面接を終えた。

今まで受けた面接全4回の中で、最も満足のいくもので私はとても気分がよかった。結果が出るのが2週間後といわれ、随分長いなあと思ったが、その分、この気分の良いまま、東京に行ったり、この面接の満足いく出来に浸れたりできるると思うと、もう結果にあまり関心はなかった。ともかく、この気分の良さを楽しめるだけでも十分だと心から思った。

「私は夢に満ち溢れている!なんて楽しいのだろう!なんだか天候は雨だけれど、ガラスについた水滴から世界を眺めているような透明で生命力に満ちた世界なのだ!私はこれだけ気分よく終われるとは思いもしなかった!このできたかもしれないという状態が結果がないゆえに、最も思考の広がりを見せるし、最も楽しい!もし落ちていたら...と考えるのは杞憂だ!今が楽しいのだからこれでよいのだ!!!」
とカフェで珍しくテンションの高さを日記に記していた。
家に着くと憂鬱で、「なんだか冷めたようにコロコロしていた」と記されてあり、なんだか力尽きているようだ。

5月22日、起床が12時で、最終面接を受けた企業Cから不在着信が入っていた。
二週間後と言っていたにもかかわらず、やけに早いなと思いつつ、内々定で用がない限り、次の日の朝にわざわざ電話してこないのではないかと考えると、もう内定をもらったかのように安堵していた。

そして、失礼にならないように14時頃に書けなおし、内々定の電話をもらった。
相手の方はものすごく歓迎してくれるような感じで、幸せだった。
私はと言えば、語彙乏しく「嬉しいです」を言い続けていたような気がする。
ものすごく苦しかったが、こんな感じで就職活動を終えた。就職活動のことは流れるように生きていたせいか、あまり思い出せず、こうして時系列にきちんと並べることで私の頭はすっきりした。
説明会に行った回数11回
書類選考を通過した企業5社
面接を受けた企業3社
面接を受けた回数5回
内々定1社

という結果だった。運が良かった。
就職活動はものすごく人に助けられたように思う。

ちなみに最近、私の精神はあまり良くないし、思索も全くすることができない。

結局は何もかも虚しい私なのだった。