ブログ移行のお知らせ

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群盲
http://monochromemory.blogspot.jp

上記ブログに移行することになったので見てください。
おそらく向こうではより下らない日記帳と化すだろうと思う。
ここで語られた思想というのがすこし恥ずかしく、もはやそこを生きていないから変わるのである。
当時について今思うと、随分と必死になって、それこそ心の空漠に飲み込まれないように足場となるものを探していたように思う。
それが自らの心に行き着いて哲学や文学によりどころを見出して、未だ解なく長い青年期を過ごしている。
忘却された忘却を掘り起こすことが哲学で、その思い出した事象というのが自分にとって今に新たな解釈を与え、生きることの楽しさを感じたけれど、結局はまた忘れて生きていて、掘り起こすことの馬鹿馬鹿しさを感じているので結局自分とは探究者じみた人間ではないのだろう。

答えを忘れることによってのみ得られる解というのを欲していたが、そこに辿り着きたい。
過去の自身の視点から見ると今の現状というのは嘲笑されてしまうのだろうが、そして自身に似た人間に軽蔑されてしまうのだろうが、退屈を紛らわすことはできなくなった。
ただ人に決して見せられないような内容を誰に見せることも予定していない手記を書き続けることによって心の中の鬱屈した気持ちが助長されるだけなのでやめるのである。
心の中の障壁の一切を取り払うように「こうあるべき」という暗黙理さえも取っ払って物事を考えているとどうも現実に人と相対していても傷付けてしまうようだ、他者に対する感受性というのがいつのまにかひどく欠けた人間になってしまった。
何か書くためだけに生きている、私というのはそのための単なる装置でしかなく、感じているというのは決して感じることそのものに留まらず、たえず書くことへの延長線上のものでしかない。
それだから全てが色褪せたような、つまらなさ、鮮やかなものへの憧憬。
そういうものを手に入れようと、そういう思いだけが私に手記をとらせていた。
これまで十八冊ほど書き連ねてきたけれど手記自体、ほとんどやめるだろう。
これまで四年間ほど、何か嫌なことがあれば誰一人知ることのない居場所に籠り、その居場所だけが唯一支えになるものであったけれど、たしかにやめるのである。

私はいつかこの世界に私が一人であれば、私に精神は宿らないだろうということを記した。

"私がたったひとりのとき、私は世界の精神を担っていて、私の一挙一動が世界の精神の揺れ動きとなる。そして世界の精神の中の精神、つまり私の精神は消えてしまうだろう。私の精神の中の精神が把握できないのと同じように。"

私は存分に孤独を謳歌した。
私は匿名性から、孤独から立ち去ることで失った精神を取り戻そうと思う。

いろいろな意見や感想をくれてこのはてなブログには随分救われてきた。
書くこと、何か思いを表現することというのは変わらずに好きなので向こうでは淡々と、公の場に自らの居場所をつくれるようにこれまで自身が手記をとっていたような気楽さをもって記したい。
これまで読んでくれてありがとう。