虚無世界と虚偽世界 比喩

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虚無世界と虚偽世界

とても醜いと感じていたあの頃

そして思い出したように醜いと実感する今

醜いと感じていなかった期間、私は紛れもなく虚偽世界の住人だった

 

だけど、私は虚偽世界に戻れないし、戻りたくない

なぜ戻れないのか

土の上に積もった雪

みんなはその雪の上で楽しそうにしていたり、悲しそうにしたりしている

だけど、雪を掻き分け、土と雪が入り混じった汚い真実をみて私は唖然とする

だけど、人々は気付かない、知っている人間もいるのかもしれない

たとえ、知識として理解していても、みんな知っているということを忘却し、忘却していることすらも忘却しているから何のことかさっぱりだ

私は絶望した

 

みんなとは違う世界にいるかのような孤独をひたすら感じた

目は虚、そして雫

だけど、こんな悩みを理解してくれる人間なんかいない

みんな忘却しているから

みんなの関心ごとは綺麗な雪の上での事柄だから

そうして、この世界、自分について孤独に考えざるを得ない状況になった

他人と話したり、遊んだりすることなく、ただただ考えた

 

そして、その考えて、得た「こと」が、土と雪の価値を転換させた

真実を知らず雪の上で楽しく遊んでいるみんなはすべて取り繕った虚偽だと理解した

みんなと仲良く遊ぼうとしても、綺麗な雪は実は全くきれいではないことを知り、純粋な気持ちで遊ぶことができなくなった

「なんで、雪の下はあんなに汚いのに、ああやって楽しんでいられるのだろう」と私は思った

 

いつしか、泥遊びすることが、雪遊びをすることよりも楽しく感じていた

泥を空に翳し、太陽の光を浴びせ土に還す

このことに、自らの存在意義を見出していた

 

昔はその土が真実だと信じていた

だけど、その土が真実かどうかなんて、誰にもわからないし答えもない

その土が真実だと決めつけ泥遊びをすることは、雪遊びをしてる人間と変わらない

すべてが無価値だと決めつけ生きることは、虚偽世界の住人と変わりない

答えがないからこそ私はひたすら考える

 

私は一時期こう思った

そのような真実を知っているからこそ、私は強くなり、些細な喜びが、大きな幸せに感じることができるのではないかと

そして、辛いことも簡単に乗り越えられるのではないかと

だけど、うまくいかなかった


泥の存在を意識して、雪遊びに熱中することなんてできない

 

きっともう、泥を忘れ去り、みんなと同じような雪の上の幸せを感じることは二度とできないだろう

雪遊びを続ければ、いつしか手は綺麗になり、雪遊びをしている人間と心から楽しむことができるのかもしれない

だけど、それは私にとって生きることにはならない

忘却から目を覚ましたとき、私は絶望して発狂した

 

この世界は絶望に満ち溢れている

何もかもが理不尽だ

知れば知るほど巨大な絶望が私たちの身近にあることに気が付く

 

泥遊びをするだけでは、この世界では生きてはいけない

泥遊びも雪遊びも楽しむことができるのが理想だ

だけど、それは相反することだ

私は葛藤している、とても苦しい

この世界から消え去ってしまえば、それこそ私が私でなくなってしまう

だから、私はこの世界で思考する存在でありたい

それが、私の希い望むことだ