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私に対する私のための〈私〉の言葉 四

精神の抜け殻を日記によって収集し、それを仮想世界に放り投げて、ぼーっとする空虚と愉快。 生きる意味は身体に記され、精神に示される。 もし私に手がなかったなら、私は動きで「絶望」を表現をするような完全な狂人になっていたことだろう。今だって私は…

私に対する私のための〈私〉の言葉 三

私が楽しいとき、何か大切なものを隠しているような、虚偽を自らに感じる。眩しいとしか言い表せない。皮膚に中途半端にくっついた仮面が目を慣らすことに消極的だ。私が読書をするのは、ちょうど、猫が猫草を食べて吐くように、言葉を吐く取っ掛りを探して…

私に対する私のための〈私〉の言葉 二

真の自由は制約も何もない。 私が退屈を感じているとき、真の自由に身を置いているといえるだろう。しかし、私は不完全であるために、真の自由を穢すことによってしか、自由を感じ取ることができない。寛容とは真正の無関心である。誰にでも等しく優しい者は…

私に対する私のための〈私〉の言葉 一

彼らは地べたに這い蹲ることにしか能がない。だからこそ、そこから翔くことを現実逃避だと彼らは批難するのだ。しかし、それは全てを俯瞰するための準備に過ぎない。人間的な生を生きるための。私は〈私〉を見つけた。誰にも批判されない夢の場所。精神外の…